語り部:陶翁

『垓下の歌』(がいかのうた)は、項羽が垓下の戦いで劉邦軍に追い詰められ「四面楚歌」の状況下、自らの破滅を悟って愛人虞美人に贈ったとされる詩じゃ。書き下し文で読んでも十分に深い味わいを感じられるのじゃが、中国語で読むと項羽のパトスがよりダイレクトに伝わってくる。ちとピンインと解説を付してみた。

垓下歌
gāi xià gē

力拔山兮气盖世。 
lì bá shān xī qì gài shì ,
时不利兮骓不逝。
shí bù lì xī zhuī bù shì ,
骓不逝兮可奈何!
zhuī bù shì xī kě nài hé !
虞兮虞兮奈若何!
yú xī yú xī nài ruò hé !

【解説】

力拔山兮气盖世。
私(項羽)の力は山を引き抜き、気はこの世を覆い尽くすほどであった。

拔[bá]は現代中国語の意味と同じで引っこ抜くという意味の動詞じゃ。
兮[xī]は文のリズムをなめらかに整える働きがある。ピンインで読むとその働きが直接分かるじゃろう。

盖[gài]は動詞で覆う。現代中国語においてはフタやかぶせるもの。日常生活でよく使われとる。

 

时不利兮骓不逝。
時勢は私に不利であり、騅は進もうとしてくれない。

何をやってもうまく行かない状況を愛馬の歩まないことによって表現しておる。
逝[shì]はここでは死ぬという意味ではなく、進むという意味じゃ。骓[zhuī](すい)は愛馬。

骓不逝兮可奈何!
愛馬の騅が進まないことをどうすることもできない!

うむ、破滅を悟った項羽の叫びが聞こえるかのようじゃの。

可奈何[kě nài hé] は反語。どうすることができようか→どうすることもできないという意味。つまり現代中国語でいう无可奈何[wú kĕ nài hé](どうすることもできない)と同じじゃな。

虞兮虞兮奈若何!
虞よ、虞よ、そなたを一体どうしたらよいのだ!

ちと感情的に訳してしまったが、実際の項羽の状況を考えるとこんな感じじゃろ。

虞[yú]は愛人である虞美人を指しておる。中国語の愛人は日本語の愛人とはちと違っての。字のとおり愛する人という意味のためより広義じゃ。従って妻の意味を含む。虞美人についてはよく分かっとらんらしいが項羽の愛した女性であったことに違いはなかろう。

奈若何[nài ruò hé]は文法的な説明が必要じゃの。まず奈と何の間に挟まっている若を如に置き換えて読もうとしても無駄じゃ。なぜならこの若は名詞で「なんじ」の意味、つまり虞美人のことだからじゃ。
「奈何」の間に何かが挟まっておる場合「奈~何」は「~をいかんせん」読み、「~をどうしようか」という訳を当てるのが解釈の定石。「奈若何」は「なんじをいかんせん」と読み、訳は「そなたのことを一体どうしたらよいのか」となる。

最後に、書き下し文を付しておく。

【書き下し文】

垓下の歌

力山を抜き 気世を蓋う
時利あらずして騅(すい)逝かず
騅逝かざるを如何せん
虞や虞や汝を如何せん